日本海を行き来した北前船は、北海道からの帰り荷として、昆布・鰊の〆粕(魚肥)を本州にもたらしました。そういった意味で、北前船航路はまさしく「昆布ロード」だったのです。
さらに、昆布は富山の売薬商人を介して薩摩にもたらされ、そこから遠く琉球、ひいては中国まで流通し、各地に独自の食文化を発達させました。
ちなみに、薩摩に昆布をもたらした富山の売薬商人はその見返りとして中国産の薬種を得たと言われています。