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<明治天皇の北陸東海御巡幸の図:
立山連峰、神通川、舟橋が描かれている>
神通川の川魚はきわめて美味であるので、かって神通川は皇室の御猟場(ごりょうば)に指定されていました。
この御猟場制度は明治から大正にかけての制度で、各地に指定の狩猟場があったが日本の河川でかって皇室の御猟場があったのは、長良川と神通川の両川だけであり長良川は鮎、(鯉)だけでしたが、神通川は鮎、鮭、鱒の3種にわたっての指定でした。
日本一の豊かな川とのお墨付きを貰ったと言えるのが、かっての神通川です。
さらに古くは、天平19年(747年)大伴家持は「越中は山が高く川が雄大だ」と歌いあげました。そして越中の川で鵜を使っての川漁をしばしば歌っています。
「鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養(うかい)が伴は ゆく川の 清き瀬ごとに 篝(かがり)さし なづさひのぼる・・・」
(長歌の一節)
すなわち鵜漁を職業とする鵜飼たちがいて、片手にかがり火を持ち片手で鵜をさばきながら、川の瀬を遡って鮎を捕っていました。
「万葉集」には吉野川の鵜漁、泊瀬(はつせ)川の鵜漁を歌った歌が各2首ありますが、具体的に鵜漁のありさまをこまごまと何首も歌ったのは越中の家持ただ一人です。
現在の鵜飼いは舟漁ですが、家持のころは川瀬を踏み渡りながらの徒歩(かち)漁でした。
神通川は元来は水質もよく、水量も豊富だったので、魚が豊富に獲れる河川であり、富山名物”鱒の寿司”も元は神通川に上る鱒(サクラマス)を使っていました。
昭和に入り、ダムが幾つも建設され河川形状、環境の急激な変化により、明治時代には100トン以上あった桜鱒(サクラマス)の漁獲量は最近ではほとんど無きに等しいまでに減少しています。
一方、鮎は今も遡上数は極めて多く全国屈指とされ、近県のみならず関東あたりからも多くの釣り人が訪れます。
富山では、神通川の他に庄川、小矢部川など川魚の豊富な大河川が7つあります。富山県(富山湾)での母川回帰性の魚はサケ(秋)とサクラマス(春)の2種類です。
春の桜鱒、夏のあゆ、秋のサケ、・・・富山では海の幸、山の幸に更に「川の幸」も加えなければなりマスまい。
鮭、マスの増殖の事業が関係者により続けられており、かっての栄光に近づけられることを期待したいです。
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